五の章  さくら
 (お侍 extra)
 



     寒 昴



 結局、ものの小半時ほどという短い間に、しかも たった二人の練達の手により。五十名近くという結構な規模の手勢が押し寄せていながら、そのほぼ全員が捕らえられての引っ括られてしまった賊どもであり。久蔵には数カ月振りの本格的な二刀使いの切り結び。相手が素人同然の大した連中ではなかったとはいえ、それでも両腕を思い切り振るのは、全身の動作の均衡を保つのには重要だから。常には首から吊るしていたその右腕、弱点と思われぬためにも装具を外しての臨んだ、夜陰の中での乱闘であり。

 『あれはまるきり、猫の妖異でも見ているかのようだったさね。』

 取り調べにあたった警邏隊の担当官へ、直接相対した賊の面々がそうと口走ったように。上から下から、左右に斜め。手近へも遠くへも縦横無尽に伸びる切っ先が、失速もせずの連綿と繰り出され。間合いに入ったが最後、逃がれることなぞ許されぬ、水をも洩らさぬ太刀筋そのものも勿論のこと恐ろしかったその上へ。その痩躯の柔軟自在な動きの妙がまた素晴らしく。数人がかりでの挟み撃ちも、立て続けに斬りかからんとした攻勢も、そのことごとくをあっさりとやり過ごし。そうかと思えば身軽に飛んで頭上を跨ぎの、中庭に面していて吹き抜けになっていた回廊の欄干に手をかけては中空へとその身を躍らせ、それを追った輩を勢い余ってのこと池へ落っことしと、たった一人での所業とは思えぬ軽快な動作での撹乱を披露して。体さばきのなめらかさという点でも、思う存分 立ち回れたほどの回復振り。随分な数がいた筈な賊どものほとんどを、斬るまでもなしと手玉にとっての翻弄し倒したというからとんでもない。そんな彼へと、

 『無理は いたすな?
  今のお主には、その身 その命、惜しむ者がおるのだ。それを忘れるな?』

 一応の苦言を呈した勘兵衛もまた、長い蓬髪ひるがえし、それは鮮やかな太刀ばたらきの妙を発揮しており。戦った現場は遠かったものの、あらかた片付けてから足を運んだ、店の表門側の前庭にて、ついつい眸を奪われた久蔵で。先だっての騒動の中でも見せた太刀ばたらきの雄々しさは健在で、あの大戦から はや十年以上も経っており、彼ほどの壮年ともなれば、刀を手放してのすっかり落ち着いて、静かな生き方へと納まり返っていていいはずが。どこも老いてなど、枯れてなどいない人。重たげな大太刀を振りぬく膂力も桁外れなそれならば、いっときに幾多もの手合いと向かい合っているにも関わらず、その頭の向かぬ背中にも、目の代わりがあるかのような、全く隙がない鋭き反射と応対も凄まじく。夜陰の中、月光を浴びて浮かび上がった白い衣紋が切れよく躍る様は、さながら出来のいい剣舞を見るかのよう。

  『……。』

 本来なれば、そうまでの練達、味方であることを喜ぶだけで済もうものが。久蔵にしてみれば…それだけの手合いが、だが、手合わせの対象ではないことが、無性に苛立たしくもある そんな日々が、しばらくは続くことともなるのだと。それがいかに皮肉でいかに苦痛となろうかというその予兆、何とはなくに感じてのことだろう。立っている者が味方だけとなったその空間で、むうと膨れて迎えてくれたのが、勘兵衛の苦笑を誘ってやまなかったとか。そして、

  “……………。”

 どうして勘兵衛が、七郎次には“手を出すな”と堅く言い、守りだけを任せたか。その詳細が明らかになったのは、一味の警邏隊への引き渡しが済んだその直後のこと。たまたま不在だったのか、それとも向こうでも何かしら思うところがあっての避けたのか。警邏隊を率いる隊長の兵庫殿は来ぬまま狼藉者らが引っ立てられてゆき、

 「これで、ああいう手合いにも“此処”は守りが堅いと広まることだろうよ。」

 前の差配が不在なまま、大アキンドらを供連れにして天主も亡くなり。社会情勢は微妙な不安定さを帯びての揺れていたようなもの。恐らくはそこをもっと揺さぶってやろうとする者の企み、金満家たちが集っては贅を競い合った、アキンドらの権勢のいわば象徴のような蛍屋を焼き打ちにでもすることで、先の惨劇に引き続くアキンドらへの天誅としたくての強襲であったのだろうけれど。そんな標的だったはずの蛍屋は、存外 屋台骨がしっかりしており、不意を突いての強襲だとて物ともしないという事実をこそ、広く喧伝する運びとなってしまうことだろて。

 『そういえば、あすこには用心棒が。』
 『そうそう。確か侍あがりだか くずれだか、
  日頃は幇間の真似ごとをしているのが、抱えられていた筈だ。』
 『…あれ? でも、盗賊を畳んだのは、年かさのご浪人様だよ?』
 『そうなのかい?』
 『ああ。ウチの下男がこっそりと、お店の前での乱闘を見てたらしくてね。』
 『じゃあきっと、その幇間の伝手で雇われてたクチじゃあないのかね。』
 『まるで襲われることが判っていたかのようだねぇ。』
 『そりゃあ、ああいう商売だ。
  いろんな噂も値札つきでの向こうから、集まって来るもんなんだろうさ。』

 これほど派手な騒ぎだ、取り沙汰されない筈はない。正宗殿や弘安殿、玄斎医師にも手伝ってもらい、届く端からそれとなくの軌道修正を加えていただくことになっていて。そんなこんなを経ての、広く遍く世間へと流布された風聞は、蛍屋がいかに周到堅固な店であるかを声高に喧伝するに違いない。

 「とはいえ、狼を飼うておるとの評判を立てられてはまずかろうからの。」

 この街ではまだ、そのお顔が指すやも知れぬからと さんざ注意されていた勘兵衛が、それでも警邏隊への無法者らの引き渡しを受け持ったのも、実際に暴れたのが誰かを明らかにするためで。

 「なに、まだお主がおるのだ、儂らが去っても不安はあるまい。」

 さらりと言ってのけた一言が、もはや忽せにする気はないらしい、その心積もりを語ってもいて。

  ―― 全てを負って、やはり出て行ってしまわれるおつもりだ。

 どこまでが布石で、どこからが後づけなのか。身内の自分にさえもはや判らないほどの周到さが、軍師としての冴えの健在さを感じさせつつも、別なことまでもを七郎次へと思い起こさせる。
“そういえば、こういうお人でもあったか。”
 どういうお人か、よくよく知っていたつもりでいたが、それでも…自分が彼から離れた経緯が少々奇矯な形であったせいだろか、ついうっかりと忘れ去っていた。

  ―― こうまでの存在感がありながら、まるで風のようなお人でもあると。

 鋭い解析力と蓄積、緻密な思考による見事な用兵のみならず、常にその身を最前線へ置くほど行動力がある将でもある彼は、ただの軍師ではこうはいかぬというほど、それはそれは人望厚い司令官であり。才ある上つ方の人々からも、善かれ悪しかれちゃんと認められてもいての、誰からも望まれた存在であったにもかかわらず。才能以上の内面へは誰にも触れさせぬとする頑迷なところがあった勘兵衛で。人嫌いな訳じゃあない、義や情というものも疎かにはしない人だのに。慕う気持ちが度を超すと、それは自然に…あるいは巧みに。伸ばした手をするり擦り抜け、視線も想いも置き去りに、余情も残さず遠くへ去ってしまうような人。なんて憎らしいことかと、せいぜい怒って恨もうとしても無駄なほど、深い深い慕わしさはきっと拭えぬだろうから。こんなにも酷で、こんなにも罪なお人は、そうはいないというもので。数多の人々が純真に一途に彼を慕いながらも、顧みられずの置き去られた場面を数多く知っている。花街の太夫だったり困窮していた幼い少年であったり、任務の中で庇ったどこぞかの皇女様だったりもしたそのことごとくを、時には巧妙な段取りを組み、時には朴念仁を装い、背を向けて振り払って来たのを知っている七郎次だったし、自分との睦みようを仄めかして諦めさせた例だってあったほど。

  そして…こたびはこの自分もまた、勘兵衛から置き去られるのだ。

 はっきり言われる前から、その事実がひしひしと胸に痛い。だが、止めようがないのもまた事実だ。何せ七郎次自身にそれを選ばせた。相変わらずに狡くて周到で、憎たらしいほどお優しい人。

 「お発ちになるのですね。」
 「うむ。」

 そうすることで表立っては侍らが去ってしまう形となろうし、事情通には まだお主が残っておることが広まろうから、それだけで十分な歯止めになろうさと。案ずるなというつもりでのお言いよう、さばさばしているその分だけ、変えようのない仕儀だぞとの最後通告のように受け止めた七郎次は、細く息をつくと、その口許を仄かにほころばせて見せ、

 「久蔵殿はお連れになるのですね。」
 「ああ。お主が言うたのだぞ?」

  『勘兵衛様を捕まえるお人が現れようとは。』

 それを今更、寝首でもかかれはせぬかとでも案じておるのかと、苦笑混じりの冗談ごかし、軽い口調で口にした勘兵衛へ。いえそんなつもりは…とこちらも笑って返しつつ、
「でしたら、湯治はいかがかと。」
「湯治?」
 はい。騒がしいところは苦手でしょうから、効能こそ確かでもあまり人には知られていない、そんなところを選りすぐっておきました。
「骨休めとそれから、久蔵殿の更なる快癒には持って来いかと思いますが。」
「うむ…。」
 久方ぶりの修羅場こそ、何とか切り抜けられもしたけれど。まだまだ少々ぎこちない右腕だったろうことは見ずとも知れて。その養生もかねてのこと、静かな湯治場を巡られてはいかがでしょうかと。話しながらの歩みで導いたのは母屋の帳場。店の者らが、まだ少々浮足立っての片付けへと奔走していたが、こちらの姿を見ると、そこは躾けが行き届いていたのと…人斬り包丁を振り回した修羅の人を恐れてか、遠巻きになっての寄らぬをいいことに。先に上がると、戸を閉めたてることもせぬまま作り付けの戸棚へと向かい。何やらごそごそ取り出して、上がり框へ腰掛けた勘兵衛のその膝の先、地図やら読み本やらをどうぞとすべらせるに至って、
「なんだ、用意は出来ておるようだの。」
「ええ、抜かりはございませんよ。」
 情報には事欠かないと、手広い客商売のそこもまた強みなことを押し出してのそれから、
「このくらいはさせて下さいませな。」
 神妙な声になりかかり、それへと気づいたか“んん?”と顔を上げた勘兵衛へ、
「でないと、どこへお行きになることやら。」
 ついてゆけぬ身の歯痒さ、せめて行き先くらい決めさせて下さいましな、と。ほわりと灯された明かりに端麗な白面照らして、殊勝そうに目許を細めての悩ましげなお顔をして見せる。行ったままにはならぬとの、ギリギリの約束を取りつけた。ならば、どんなに野暮でもみっともなくたっていいから、せいぜいそこへ縋ってやろうと思った。

 “お独りでさまよう訳でもないところも、大きに安堵してはいるのですけれど。”

 戸を閉めての立て回さなんだのは、その久蔵が戻って来たらすぐ判るようにというためで。別段、内緒の話をしようとしているつもりではなかったが、それでも…居ない人のこれからの話を、当人が不在なのに進めるのは何となく気が引けた。それも、

 “だしにしているような言いようになってしまいましたしね。”

 気遣いに見せかけての親切ごかし、おためごかしなんてものがあるということを、あのお人は知っているのかしら。軍にいたならそういうものにも振り回された覚えくらいありそうだけれど、
“そういうことへの関心が、沸くようなお人でもなさそうではありますが。”
 あれほどの太刀筋とあれほどの美貌と。寡黙で奇矯なところはまま天才肌だからとくくっても、それとは別な何かしら、不可思議な印象を常にまとったお人であって。存在感は重々とあるのに、そこに生々しい体温や暑苦しさが欠片ほども匂わない。

 “まるで 桜みたいなお人ですよね。”

 誰だったかが“求道者はかくあるべきではないか”と言わんばかりにかざしたお言いよう。生き恥を晒すなぞ武士の有り様に反すだとか、汚名は死をもって償うだとか、美学たらいうもので飾られがちな、自爆自滅の行為を信奉していそうだと言いたいのではなく。その痩躯に、誰にも手折られやしなかろう強靭さを秘め、死をも恐れぬ大胆苛烈さで太刀を振るう彼ではあるが、どうしてだろうか、その凄絶さや華やかさの陰に儚さが滲むのが、だからこそ最強の彼なのならば、そんな哀しい生き方はもう辞めさせてやりたいと思えてならない七郎次だったのだが。

 「あれを連れてゆくのは、言われるまでもなく思っていたこと。」

 高齢者向けなのか地味な装丁の読み本の表紙を、白い手套をはいたままの手で触れながら。勘兵衛がぽつりと呟いたのへ、えっ?と不意を突かれたように聞き返せば、
「判っておろう。あれはまだまだ一つところに身を据えるには早い。」
「は?」
「居場所を定めるならばその前に、人性をほぐさねばならぬ。」
 静かな語り口調のその先を待てば、

 「あれは、人になる前に侍になってしもうた存在だからの。」
 「…っ!」

 お主も儂も、まずは人として育ち、物の道理や世の中の有り様を身につけてから、求道とまでは大仰な言いようながら、それなりの矜持や信条、覚悟を礎に、侍となった身だが。

 「覚えておろう。
  あれは、ただ刀での決着をつけたいがため、
  いつか斬らんとする対象を優先し、朋友だった存在を迷いなく斬って捨てた。」
 「……。」
 「確かにあの刹那、加減をすれば。鉄砲が火を噴きもしただろう土壇場であったから。
  侍でのうても、あそこまでの斬りつけは要っただろう場面ではあったれど。」
 「……はい。」

 我ら侍ならば、特になんとも思わぬ順序立て。だが、そうでない者にはそうは思えぬ酷薄さだ。ことの善悪や倫理はわかってもいようが、それでも大きく足らぬものがある久蔵であることをこそ、案じておいでらしい壮年殿で。

 「万事が万事、まず侍であることが先んじる彼奴は、
  今はまだ若く、他の部分が無垢で狡猾さが足らぬから、
  判りやすいといや判りやすい直情でおるけれど。
  それでも“人らしく”あることへ、これから様々に苦難を重ねることとなろうて。」

 恐らく本人は、誹謗されようがどうしようが、揺るがぬのだろうが。誰ぞとともにありたいと、ともに生きたいとするならば、人としての在りようを身に染ますは必要不可欠なこと。剥き身の刃でい続けるには、生きにくい時勢だから。

 「それを忘れたやも知れぬ身でいうのはおこがましいのかもしれないが、
  諭すにせよ絆すにせよ、同類の儂がすぐ傍らにいた方がよかろうよ。」

 眸と眸を見交わすことで意志を映した眼差しは雄弁でもあるし、こちらの動揺など易々と屈させる威力もあって。それが魅力のお人だが、同時にそこが怖くもあった。底の覗けぬ深色の眼差しは、全てを見通し暴かれそうで。弱さや憧れ、恋心まで、その掌へと浚い取られてのあからさまにされてしまいそうで。そして、それとは逆に、嘘は言わぬがそれでも、こうして口にしたことが、その胸の内の全てではないかも知れぬ。腹の底を明かさぬお人なのも相変わらず。だが、今は、この述懐が信頼されてのことならば、喜ぶべきでもあろうから。


  「どんなことがあろうと生きて帰れと、いつも仰せだった勘兵衛様ならば。」


 私なんぞが何を言えましょうかと。慌しくも人々が駆け回るその中、裏手の方から廊下を真っ直ぐ。こちらへ向かってくるそのお人。赤い衣紋の胡蝶の君へと視線をそそぎつつ、しっかとした声でそうと応じていた七郎次であったのだった。





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  *なんか、書けば書くほどお話が増殖するってのは、
   一体どういう呪いなんでしょうか。
   お待たせした挙句にいきなりシチさんの回想に走っててすいません。
   大人二人のごちゃごちゃは、
   ちっとやそっとじゃ落ち着かないものなようです。


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